インスタグラムで「#ゴミ屋敷」と検索すると、目を背けたくなるような光景が広がる。しかし、私たちは怖いもの見たさからか、ついスクロールする指を止めてしまう。なぜ、私たちは他人の不幸とも言えるプライベートな空間を覗き見てしまうのだろうか。その心理は、決して単純なものではない。一つには、「自分はまだマシだ」という無意識の安心感を求める心理が働いている。他者の悲惨な状況を見ることで、相対的に自身の状況を肯定し、一種の優越感に浸りたいという、人間の根源的な感情がそこにはある。また、普段は決して見ることのできない他人の家の内部、それも極端な状態への純粋な好奇心、いわゆる「覗き見趣味」も大きな要因だろう。しかし、この現象を単なる下世話な興味として片付けることはできない。ゴミ屋敷の投稿には、多くの場合、劇的なビフォーアフターがセットになっている。悲惨な状態から、信じられないほど綺麗な状態へと変化する様子を見ることで、まるで自分の心の中のわだかまりまでもが浄化されたかのような、スッキリとした感覚、すなわち「カタルシス」を得ているのだ。これは、逆境を乗り越える物語に感動する心理と通じるものがある。SNSの普及は、かつては隠すべきものであった「恥」や「コンプレックス」を、共感や承認を得るための「コンテンツ」へと変容させた。他人のゴミ屋敷を見てしまう私たちの視線は、そうした現代社会の特性と、人間の普遍的な心理が交差する、複雑な現象を映し出す鏡なのである。